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豊國神社【ほうこく神社】をレポ!大阪城の中にある太閤・秀吉を祀った出世神社!

 

秀吉を祀る豊國(ほうこく)神社は、大阪城公園の敷地内にあります。あまり知られていない神社ですが、この場所に鎮座するようになった由来やご利益を知ると、一度は訪れてみたいと思うようになります!

豊國神社本殿

ここでは、大阪城は誰が造ったお城なのかということから、秀吉を祀った豊國神社が大阪城の近くに遷座するまでのこと、ご利益抜群の授与品などについてまとめました。

豊國神社は大阪城の中にある

大阪城

大阪でも有数の観光地となっている大阪城ですが、豊國神社という神社は知らない人の方が多いと思います。案内板には記載されているのですが、多くの人は大阪城を目的地としているため、ふらりと立ち寄ることがあまりないようです。ですが、大阪城へ行くなら、豊國神社にもぜひとも参拝してほしいと思います。

※現在は観光用にミニトレインの駅があります。

 

大阪城は誰が造った?

大阪城というと、太閤・秀吉の建立したお城というイメージがありますが、現在の大阪城のスタイルは、徳川幕府の造った大阪城をもとに造られています。

そもそも大阪城とは、石山本願寺のあった場所なのですが、石山本願寺とは一向宗という宗派の本山です。石山は高台にあり、流通の要所でもありました。信長は11年かけてこの場所を勝ち取り、築城を目指していたのですが、夢半ばで焼き討ちにあい、時代は秀吉のものとなります。

秀吉は信長の狙っていたこの場所に大阪城を築きますが、病が原因で亡くなり、250年以上続く徳川の時代がやってきます。このとき、家康は二代将軍である秀忠を城主とした大阪城を、落城した秀吉の大阪城を埋める形で築城しました。

秀吉の時代を過去のものとし、徳川の新時代を示すため、秀吉の造った黒漆に金の装飾のお城から、がらりと印象を変え、現在のような白い天守のお城になりました。

しかし、この新しい城へ将軍が入城することはほとんどなく、大阪人にとってはいつまでも大阪城は「太閤・秀吉の城」という印象を強く持っています。徳川の城地でありながら、戦敵である秀吉公を祀った豊國神社を建てたことからも、今でも大阪城は秀吉公の城として親しまれているのでしょう。

豊國神社のご祭神とご利益

豊國神社の鳥居

豊國神社のご祭神は、豊臣秀吉、秀吉の息子の秀頼、秀吉の弟の秀長の3柱です。

神社には大きく分けて2つのタイプがあり、自然の神様を祀ったものと、人が死後に神格化された神様を祀ったものとがあります。

豊國神社は後者の、人が死後に神格化された神様をお祀りした神社ですが、このタイプの神社はほかにも、天神さんとして知られる菅原道真を祀った天満宮や、徳川家康を祀った東照宮などがあります。

秀吉は出世の神様、開運の神様としてよく知られますが、これは秀吉が農民のように武士とは相容れない下級家系の出身から、一代で天下人にまで成り上がったことから、このようなご利益が得られると考えられています。

出世開運・就職成就・商売繁盛・合格必勝といったご利益を望む人は、豊國神社へ参拝することをおすすめします。

京都の豊国神社との関連

京都・東山にも豊国(とよくに)神社という神社がありますが、もともとはこちらが秀吉公を祀るお社でした。というのも、秀吉は遺言の中で、京都にある阿弥陀ヶ峰に埋葬してほしい旨を挙げており、その遺志に従い、秀吉の墓である豊国廟(ほうこくびょう)を山頂に造りました。

山頂に信仰物のあるお社によく見られることですが、拝所として麓にも同じ神様を祀ったお社を造ります。同じようにして阿弥陀ヶ峰の麓に造られたのが、豊国神社でした。

豊国神社を総本社とし、別社として建立されたのが大阪の豊國神社ですが、「とよくに」と「ほうこく」と、読みが異なるように、のちに京都の豊国神社から独立します。また、豊国神社が秀吉のみを祭神とする一方で、豊國神社ではゆかりの強い秀頼、秀長もお祀りしていることも特徴的です。

大阪城公園内、最大のパワースポットに至るまで

豊國神社は最初から現在の位置にあったわけではありません。はじまりは明治元(1868)年、明治天皇が「国のために勲労した太閤秀吉を、大阪の清浄な土地に奉祀せよ」と仰ったことでした。どの地がよいか検討を重ねた末、現在は大阪市中央公会堂のある、大阪府北区中之島字山崎の鼻という場所に、明治12(1879)年に建立されます。

しかし、33年後の大正元(1912)年、中央公会堂建設のために中之島内での移転を余儀なくされました。移転はこれでは終わりません。

昭和10(1935)年ごろから、大阪市は市の発展のために市庁舎を増築する計画を持っていました。中之島をより発展させるために豊國神社を移転する話し合いが行われましたが、戦争の激化に伴い、それどころではなくなります。

終戦後、復興と発展のために移転を決定し、昭和36(1961)年に、秀吉公とゆかりのある土地であることから、現在の場所へ遷座することとなりました。

この場所は古くから、生國魂神社や石山本願寺のような影響力の強い寺社仏閣を持ってきたことから、清浄なエネルギーの流れている場所とされています。生前の秀吉公が、農民から天下人となったように、その鎮座する場所も移転を繰り返しながら、おのずと大阪城へと向かい、なかでも最強のパワースポットに祀られることとなったのは当然かもしれません。

ご祈祷で勝ち戦を掴む

豊國神社の石の看板

多くの神社では通年、ご祈祷を行っており、初宮、七五三、車のお祓い、厄除け、安産、商売繁盛、合格祈願といった内容が一般的です。

豊國神社ではそのほかに、出世開運、仕事成就、仕事運上昇、就職成就といった、仕事に特化したご祈祷が行われています。就活がうまくいかないときや、最終面接に絶対受かりたいとき、転職を考えているとき、独立するとき、大きな商談があるときなど、ここぞというタイミングでご祈祷を受ければ、勝ち戦に持ち込むことができそうです。

また、ユニークな願意としては、コンサートや舞台の安全・成功祈願のご祈祷をしています。初舞台に立つときや、主演を任されたとき、裏方として大事な場面を任されたときなどにご祈祷をお願いすると、公演の成功を見守ってくださるでしょう。

秀吉の命日8月18日に行われる太閤祭

神社では一般人の知らない多くの祭礼が行われていますが、祭礼には格があり、重要度が異なります。豊國神社ではもっとも重要な祭りに位置づけているのが太閤祭です。これは、主祭神である秀吉の命日に、その魂を慰め、業績を称える意味合いを持ったお祭りです。

巫女によるお神楽の奉納などがあり、一般の人の参列も可能となっています。ただ参拝するよりも、このような祭礼の日に行く方が、ご神気を感じられます。

また、この日は太閤祭だけの特別な御朱印も授与されます。秀吉公が好んだといわれている桐の花の紋を模した金色の印が押される御朱印は1年にこの日だけ。令和元年には、出世開運と書かれた緑色のひょうたんの印も押されました。

正月には枚数限定の特別な御朱印あり

太閤祭の日には特別な御朱印がいただけるということでしたが、お正月も1月1日~3日の3日間限定で、特別な御朱印をいただくことができます。ただし、書き置きの御朱印のため、1日に授与される枚数に制限があり、なくなり次第終了となっています。

最近は珍しい御朱印を何枚も授与してもらい、ネットで販売する業者もいるためか、ひとり1体と但し書きもされています。

また、公式インスタグラムには「御朱印は各日少し異なります」という文言もありました。過去にどのような御朱印が授与されてきたのか、一部ですがご紹介します。

秀吉公の兜を象った金印


平成30年の御朱印は、秀吉公の兜を象った金印が使われたものです。

戦国武将にとって頭を守ることは最重要事項でした。そのため兜に大きなこだわりを持っていたことは言うまでもありませんが、頭部を守ること以外にも、威厳を表し相手を威嚇したり、自らの信念を宣明する意味で、さまざまなモチーフを兜に取り付けていました。

三日月の兜を被った伊達政宗や、六銭紋と鹿の角をつけた真っ赤な兜の真田幸村など、兜がその人を表しているといっても過言ではなく、兜込みでその人のキャラクターとして今でも語り継がれています。

さて、秀吉公の兜はいくつかあるのですが、使用期間が短いわりに、秀吉の兜といえばこれ、といわれるのが、羽を広げた孔雀のような壮麗な飾りの、「一の谷馬藺後立付兜(いちのたにばりんうしろだてつきかぶと)」という名称の兜です。

頭部から放射状に伸びる薄板が朝日の昇るところを模しており、その薄板は馬藺(菖蒲の一種)の葉の形を象っています。菖蒲は「しょうぶ」と読むことから、武運を高めると願掛けを込めて使われたのでしょう。

このような縁起のよい兜を模した金印が一面に配される御朱印をいただけば、一年の運気をぐっと上げてくれること間違いありません。

秀吉公と大阪城の金印

平成31年の御朱印には、馬に乗った秀吉公と大阪城を描いた金印が押されました。

天下人となり、現在にも名を残す秀吉公の金印は、一年の運気をあげてくれます。

自分には仕事運や合格は関係ないと思っている人もいるかもしれませんが、誰の人生にも等しく、勝負はつきものです。これは、単にだれかとの勝負、なにかとの勝負における勝ち負けだけではありません。

人間は一日に35000回の判断、決断をしているという海外の研究結果があります。これは、1時間あたり2000回、2秒に1回の頻度でなにかを決定していることになります。

この1回1回の決断でなにを選ぶかが、結果的には人生を決めていくことになります。そういった日々の一見、些末に感じられる判断で、よりよい方向へと進んでいくのにも、秀吉の持つ運の強さはご利益があります。

また、お城とはその場所で一番になることを意味しています。このように縁起のいい金印の御朱印をいただき、一年間の守護をお願いするといいでしょう。

このように、毎年絵柄は異なる可能性がありますが、どれも縁起のいい御朱印ですので、お正月に豊國神社へ向かうと、その一年の運気を高めてくれます。

ご利益抜群の授与品

豊國神社にはここならではの、秀吉にゆかりのある授与品が多く授与されています。天下人秀吉にちなみ、勝ち守りや出世のご利益のある授与品が多いのが特徴です。

中でもおすすめの3種類のお守りを紹介します。

勝守

黒地に金色の文字で「勝」と書かれた勝守は、持った人を勝利に導くよう祈願されています。秀吉の武運の強さにあやかり、勝負事に強くなりたいと思っている人にとくにおすすめのお守りです。

就職守り

学業守りは多くの神社で授与されていますが、就職に特化したお守りにはなかなか出会えません。

秀吉で就職……?と不思議に思われるかもしれませんが、秀吉は家柄がいいわけでもなく、体格に恵まれていたわけでもありません。信長の草履をあたためていたという逸話はよく知られていますが、この話は秀吉がそれだけ頭の切れる人物だったことを伝えてくれます。

就職は、ただ学歴があることや外見に優れた点があることだけが有利な場ではありません。どんな逆境にあっても、頭を働かせ、機転を効かせることで開ける道もあります。豊國神社の就職守りは就職難にあっている人や、就職に不安を感じている人をサポートしてくれます。

瓢箪モチーフの授与品


豊國神社の授与品の中でもっともおすすめなのが、瓢箪をモチーフにした授与品です。お守りや根付け、置きものなどバリエーションも豊富なため、使い勝手のよいものをいただくといいでしょう。

瓢箪は秀吉の馬印で、馬印とは武将が自分の居場所を明らかにするために示すものです。秀吉は瓢箪を馬印として使っていましたが、その瓢箪の数は戦に勝つたび増えていき、「千成瓢箪」と呼ばれるほどになりました。

つまり、瓢箪は秀吉にとって勝ち戦の証です。瓢箪モチーフの授与品をいただき、身につけたり家や事務所にお飾りすることで、運気アップが期待できます。

その他豊國神社内にある写真

豊國神社の中にある若永神社

最後に

現在の大阪城は、秀吉の築城した大阪城ではありませんが、大阪人にとっては今でも太閤・秀吉の城として親しまれています。

誰もが知っている観光地、大阪城には、いまだ知られざる豊國神社というパワースポットがありました。豊國神社をお参りすることで、生い立ちに屈することなく天下人となった秀吉の力強いエネルギーを感じることができるでしょう。

死してなお、出世・開運の神様として神格化された豊臣秀吉を参拝し、受験や就職など立身出世を祈れば、自分の持っている力を余すところなく発揮することができるようになるのではないでしょうか。

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